さて、どうしたものか。数十枚の券をテーブルに並べ、あなたは真剣に悩む。もう三度目になる「投票券」を今年ももらった。しかも今回は魔神だけではなく、あなたを補佐し続けてくれているレンや同盟を組んだクラウラ、ジェイク、ルシール、ティア、更にはナータンとメタティアクスにまで投票できるらしい。彼らにも渡せたら、と思っていたあなたには朗報だった。だが、全員に投票するには枚数が足りない。ならばいっそ一人に集中させるか、もしくは一枚ずつにするか……締め切りまでには決めなくてはと考え込んでいた時だった。「そのヒト」が夜更けの静かな塔に現れたのは。
魔導師だと名乗ったそのヒトは、深くフードを被っているのに加えマントが体型を隠してしまっているせいで一見するだけでは性別がわからなかった。ここにレンがいれば「もう少し警戒心を持ってください! どう見ても怪しいです!」と怒られていたに違いない。しかしあなたは不安そうにきょろきょろと辺りを見渡しているその人物を追い出そうとは思わなかった。この人は、何も傷つけない。
はっきりとした根拠があるわけではなかった。ただ、今までに出会った誰よりも自分に近しいと直感で感じたのだ。まさか「あいつ」ではないかと疑ってしまったほどに。
困惑している様子の魔導師に、とりあえず座ってはどうかと勧める。一つ頷いて、あなたの正面の椅子に腰を下ろした。するとテーブルの上の投票券が気になったのかじっと見つめているのに気づいたあなたは概要を説明することにした。とはいえ、あなた自身も正確には把握していないのだが。
ウアルに作ってもらった菓子を幸せそうに頬張りながら興味深そうに聞いていた魔導師は羨ましい、と一言呟いた。でも彼女たちに順位をつけるのは失礼に当たるのでは、とも。あなたにはなかった発想に驚いていると、ここにクロウがいたらもっとうるさかったはずだとフード越しでも苦笑いを浮かべているのが伝わってきた。幼馴染の魔導師で、敬虔な信者なのだという。あなた自身もだが、同盟員の誰一人として魔神を信仰しているような気配はない。魔導師と候補者、魔神を使役する点では同じでもその在り方は違うようだ。魔神たちは毎年楽しんでいるとありのままを話せば、あからさまにほっとしていた。
雑談しつつも、一向に券から視線を逸らさない魔導師に譲ろうかと持ちかける。数枚程度ならば、異世界人の投票でも受け付けてくれるのではないかと思ったからだ。あなたは、魔導師と名乗った人物が「この世界」或いは「この時代」の人間ではないことを薄々感じ取っていた。おそらく、向こうも途中で察したのだろう。彷徨って揺れていた空気が落ち着いたのを考えれば、これが初めてではなかったのかもしれない。本来であれば摩訶不思議な現象をそういうものだ、とすんなり受け入れた自分も慣れたものだと思う。今度はあなたが苦笑いを返す番だった。
やや間が空いた後、有難い申し出だけどと前置きして、投票先にエルがいないと断られた。先ほど聞いたクロウとはまた別の人物である。エル? と首を傾げたあなたに、魔導書が実体化した姿で可愛らしい少女なのだと教えてくれた。ラジエルの書で、エル。なるほどつまり、自分で言うところのレンということか。羨ましいという言葉に秘められた気持ちは、あなたにも覚えがある。ずっと傍にいて支え続けてくれた魔導書に、感謝の意を表したかったのだ。あなたがレンにしたように。
あ、と魔導師がぽつりと零す。つられてあなたも、あ、と間抜けな声を上げてしまった。確かに目の前にいるはずなのに徐々に姿がぶれていく。手を伸ばせば届く位置にあった温もりが、失われていく。もうすぐ、世界が切り離される。その前にとあなたは魔導師の手に投票券を握らせた。何かを言いかけた声を遮り、渡してあげてほしいと頼み込む。
ありがとう。
狭間に飲み込まれてしまった言葉は、キラキラと眩しい欠片になって降り注いだ。夢ではなかったと、テーブルの上に残された二人分の皿が証明している。
あなたが会うことは叶わない少女は、喜んでくれるだろうか。愚問だったとすぐに頭を振った。――――だって、レンは飛び跳ねんばかりの勢いだったのだから。