光る門の先に広がっていたのは、この世のものとは思えほど幻想的で美しい楽園だった。
咲き誇る色とりどりの花々、歌うように舞う蝶、水がたっぷりと流れる噴水、中央にそびえ立つ壮大な城。これまでの人生で一度も目にしたことのない景色に、わたしは言葉をなくして見惚れてしまう。吸い寄せられるようにして赤い花に手を伸ばすと、傍に控えていた魔神が「恋想花ですね」と言った。恋想花? 聞き返したわたしに、魔神は丁寧に説明してくれる。彼女の話を聞いているときのわたしはきっと、子どもみたいだったと思う。とってもわくわくしたの。お花に想いを託すなんて、ロマンチックだわ。五百年前の人々は、素敵な感性で生きていたのね。厚い雲が太陽を覆い尽くし、人の心まで曇らせてしまったこの世界とは大違い。
主様。魔神が、険しい顔で私を呼ぶ。私は頷いて、魔導書を構えた。魔導師長直々の調査依頼で、気を抜くわけにはいかない。彼は上級魔導師の私ならばと信頼してくださったのだから、その期待に応える義務がある。
天魔が光属性に弱いことに気づき、光魔法を覚えている魔神を召喚してからの戦闘は快調だった。どうやら、それほど強くはなさそうだ。けれど一瞬の油断で死んでいった魔導師が数え切れないほどいることを、私は身を以って知っている。警戒は怠らず、改めて周囲を見渡す。訪れた時と何ひとつ変わらない、美しくも温かい世界がそこには存在していた。
――あなたは誰に恋想花を渡すの?
魔神ではなく、増してや仲間のものではない頭に直接響く声が聞こえ、私は急いで声の主を探す。しかし天魔の影すら確認できない。聞き間違いだったのだろうか。いやそれにしてはずいぶんとはっきり聞こえた。
「誰に……」
誰に? 家族も、同僚も、師も、――あんなに愛し合った恋人も。みんな、みんないなくなってしまった。花を渡す相手は、どこにもいない。踊っていた心が、途端に萎んでいく。ねえ、どうしてわたしを置いていったの。ずっと一緒って、手を握ってくれたのに。あなたに言いたいことはまだまだたくさんあったんだよ。それなのに、少しも伝えられなかった。今なら、言葉を惜しんだりはしないのに。今なら、この場所でなら……
――おいで、私が叶えてあげよう。
声が誰のものかなんて、わたしはもう気にしてはいなかった。裏切りであってもかまわなかったの。だって、申し訳なさを覚える人は元の世界にはいないから。必死に叫んでいる魔神たちも、わたしを引き止める理由にはならない。
ああ、でも。
あなたみたいな魔導師になりたいです、ってきらきらした目で憧れてくれた小さな魔導師さんには、謝りたかったかな。ごめんね、わたしは本当は魔導師になんてなりたくなかった。上級魔導師とは名ばかりで、ただ運よく生き残ってしまっただけだった。大切な人に別れを告げる必要もない、優しい愛で包まれた空間で生きていたかったの。あなたはどうかあの頃のあなたのままでいてほしい、そんなことを望むのはわたしの我侭なんでしょう。
最後に祈って、わたしは静かに瞼を落とした。