いつものやつか。目の前で繰り広げられる会話を聞きながら、リガルは思う。

 迷いの森で再会したサマエルは、ウリエルという名の天使が邪魔をするせいで予知はもう発動出来ないと言った。女神は逃げ出したわけではなかった、と安堵したばかりだった魔導師達の顔が、再び強張る。リガルも、「じゃあどうすればいいんだよ」と喉まで出かってしまっていた。寸前のところで飛び出していかなかったのは、クロウと副隊長が不自然なほど落ち着いている事に気付いたからだ。

「どう思います?」

 クロウに話を振られた副隊長は、一つ頷いたあと簡潔に答えた。前提も何もかもを省いたやり取りだったので、リガルやダイアン、サマエルには読み取れず、話の続きを待つしかない。がクロウは合点がいったという風に呟いただけで中々本題に入ろうとしなかったため、痺れを切らしたリガルが説明を求める。こういう事は、度々あった。

 ポラリス隊の隊長と副隊長は、同じ師の下で修行をした仲なのだという。家族より一緒にいるかも、と冗談めかして語っていたのは副隊長だ。長い付き合い故か隊長と副隊長の立場になってからの事なのかはリガルには判断がつかないが、彼らは時折二人だけの世界を作り出す。方針に迷った際は特に顕著だった。どれだけの人込みの中でも互いしか目に入っていないとでもいうかのように視界も音も遮断してしまう。そして両親がしょっちゅうやっていた「あれのことなんだが」「そうね」といった風な何について話しているのかも第三者にはさっぱり通じない喋り方をするのである。実際のところは彼らが隊員の存在を忘れるはずはないし、ポラリス隊の面々は戻って来てくれるのを大人しく待っていたが、リガルは面倒で即座に訊ねる事にしていた。まどろっこしいのは嫌いだ。その気持ちは今でも変わっていない。

 でも、サマエルやダイアンもいる前で二人の間に割って入ったのは本当にそれだけが理由だろうか。ふと考える。日々募っていく焦燥感の正体を、少年はどこかで知っていた。

「リガル、ごめん」

 第四支部を目指す事に決まり、村に戻って馬車に食料を積み込んだりと出発の手筈を整えていたら副隊長に声をかけられる。クロウはどうした、と目をやれば、御者となる隊員に何か指示を出しているのが見えた。こちらに気付く様子はない。

「ごめんって、何が」

 心当たりがなく、純粋に聞き返しただけだった。が声音は思いの外低くなってしまい、怒っているのだと取ったらしい副隊長は「うっ」と言葉を詰まらせる。

「サマエル様のこと……あれはリガルに、一人の魔導師に背負わせていいものじゃなかった」

 そこ掘り返すのかよ。今度は態度に出てしまった自覚はリガルにもあり、副隊長はばつが悪そうに俯く。おかしな構図だ。スラファト隊の魔導師に何事かと視線を向けられ、軽く首を縦に振って大丈夫だと返す。真面目というのか、空気が読めないというべきか。

「何でお前が謝るんだよ。俺が言いたくて言ったことだろ」
「そうかもしれないけど。でも、リガルの言葉は確かな事実だった」

 サマエルは逃げたんじゃないか。ここにいる魔導師のほとんどが言わないだけで、思っていることだ!!
 うんざりするくらい空気に滲ませていたくせに誰も彼もが目を背けようとしていたのが腹立たしく、居心地が悪くてたまらなかった。魔導師は皆多かれ少なかれそういうところがある。衝突を避けようとするのだ、先延ばしにしたところで解決はしないのに。

「もしかしたら、リガルにはちっぽけにも思えるかもしれない。多くの魔導師にとって女神様は心の支えになってる。ずっとそうやって生きてきた。信じていたものを疑うのは、自分達のこれまでの人生を覆してしまいそうで……怖いよ」

 弱々しく紡がれた最後の一言が、すべてなのだと思う。そうだ、クロウも似た事を言っていた。互いに同じ者を崇拝するからこそ生きていける人もいるのだと。一般論を述べたクロウに対し、副隊長は自身の言葉で想いを伝えようとしてくれている。年下の部下に曝け出すのは、とてつもない勇気が必要だっただろう。

 どちらが正しいわけでも間違っているわけでもない。方法こそ違えど二人ともリガルと向き合おうとしてくれているのだ。いつまで経っても魔導師に染まりきらず、異端ですらあるリガルと。

「だからといって、一人に押し付けていいとも思わない。本部が残っていたなら、査問会にかけられていたのはリガル一人だよ。もちろん、隊長と副隊長として相応の責任は負うけど」
「俺は……俺はさ」
「うん」
「女神を盲目的なまでに信奉するお前らのことは正直よくわかんねえって思う時もある。生きていくのに必要なのは人間の力だと思ってるし。けど、あー、上手く言えねえけど、否定したいんじゃないんだ。お前らには大切なもんなんだってのは、頭では理解してる」
「うん、わかってるよ。リガルはそれでいい。そのままでいられるように、ちゃんと守るから。ごめん」

 優しく、包み込むような響きだった。謝罪されているのはリガルの方なのに、許してもらっている気がして、胸に巣食っていたわだかまりが少しずつ、緩やかに消えていく。でもそれを悟られるのは癪だったので、ごまかすようにさも意味ありげに荷物を担ぎ直す。……言えるかよ、置いていかれてるみたいだったなんてガキみたいなこと。

 彼らが二人だけの世界にいる時、リガルは弾き出されていた。入隊直後は仕方ないと思っていたが、生き残った数少ない同志として接していても取り残されている気がしてならなかった。間に合わなかった彼らと、始めから参加していなかったリガルとでは同じ位置に立つ事さえ出来ないのだと言われているようで。けれど多分、二人はもっと近い場所にいてくれている。何度だって目線を合わせて、リガルに歩み寄ってくれるのだろう。

「おい、クロウがきょろきょろしてんぞ。お前探してんじゃね?」
「ほんとだ。じゃ、いこうか。リガル」
「おう」

イノセントチャイルド