「好きです!!!!! 結婚してください!!!」

 第7部隊の基地で、熱烈な告白が響き渡る。人目を憚らず愛を告げたのは配属したての若い男だった。受けたのは、軍一の美女。その日、男のあだ名は「勇者」になった。

「あれは傑作だったよな!!」

 しがない一兵卒が上官に求愛するという衝撃的な出来事から早数か月。酒の席で必ず取り上げられる話題となっていた。今日とて例外はなく、ジョッキ片手に豪快に笑ったニコラスの一言でドッと場が盛り上がる。絶対に滑らない鉄板ネタと化した今、第7基地の人間で内容を知らない者はいない。

「結婚してくださいは一足飛びすぎんだろ!! 俺ァ軍人やって長いが、こんなバカは初めてだ!!」
「しかも相手があの人だからな。ばかっつうか命知らずだよな」

 違いねえ!!! と笑いの渦に包まれる。話の中心にいる新人――ダニエルは両手で持ったグラスをちびちびと傾けながら不満げに言い返す。

「だってあんなに綺麗な人に会ったの初めてだったんです! このひとだ! ってびびびってきたんですよ!」
「びびび!」

 笑い上戸なニコラスはおかしくてたまらないといった様子で、腹を抱え出した。これが他の女性相手ならば「あんまからかってやるなよ」と誰かが止めに入っているかもしれないが、残念ながらこの場にいる全員がニコラスと同じ気持ちである。

「お前まじで勇者な、一週間も経たずに撤回すると思ったのにさ」
「おれ3日に賭けた!」
「俺は1日!」
「先輩達ひどすぎません!!!? 総統に失礼っすよ!!」
「いやだってなあ……」

 なあ? とそれぞれ顔を見合わせる。思い浮かべた女性の姿は、滅多にお目にかかれない美女である事に間違いはない。ないが、しかし。

「おっかなすぎんだろ、俺はムリ」
「中身がそんじょそこらの男より男前すぎて女に見えねえよ」
「あれで可愛いとこもあるんだけどな、俺の手には負えん」
「こいつが馬鹿やった時も鼻で笑って一蹴だからな。なんなのおまえマゾなの?」
「ちがいます!! 総統がいないからってみんな好き勝手言って!!」
「当たり前だろ、本人の前で言えるかよ。撃ち殺されるわ」

 流石に部下を撃つような真似はしないだろうが、血の気が多いのをこの場にいる誰もが知っている。「我の前に現れたのが運の尽きだな! フハハハ!」と強盗も裸足で逃げ出すのではないかというほど極悪に笑いながら黒い銃をぶっ放す光景は、子供が見ればトラウマになりかねない。味方としては頼もしいことこの上ないとはいえ、女性として惹かれるかと聞かれれば答えはノーだ。

「じゃあ先輩達は部隊に入った時見惚れたりしなかったんですか?」
「お前それこそ何言ってんの? するに決まってんじゃん」
「この人の下につけるなんてラッキー! だよな。夢は即壊されたけど」

 軍一の美女、アバドンは容姿だけでみれば憧れる男も多く、新人は誰しも一度は美人上官に目を奪われる。艶やかな銀の髪も、意志の強そうな深紅の瞳も、すらりと伸びた足も、カツカツとヒールを鳴らしてマントをなびかせる姿も、その全てが男の視線を引き寄せるには十分すぎた。だが、夢は夢なのだ。数日もすれば「憧れの女性」から「おっかない上司」へ、共に戦場に出れば「頼りになる部隊長」へと変わっていく。彼女への恋愛感情を継続させているのはダニエルくらいのものだった。物珍しい男。だからこそつい全員で弄ってしまうのである。

「つーかさあ、おまえどうなの。あの人とセックスとかできんの?」
「セっ……っ、な、なんてことを言うんですか!」
「結婚してくださいってそういうことだろ。え、禁欲生活でも送るつもりだったわけ?」
「それはそのーー……き、機会があればもちろんって言わせないでくださいよ!!」
「ぎゃはは!!! こいつマジだったのな!!」
「マジじゃなかったら求婚なんてしませんよ!!! ちなみにまだ諦めてません!!」
「あんだけ木っ端微塵に振られておいてか!!? この新人図太いな!!」
「図太くなけりゃこの隊でやってけねーよ!」
「それもそうだ!」

 男同士で遠慮もなく、ぎゃいぎゃいと騒ぐ。アルコールさえ入っていればいい安物の酒と、かさ増しされた豪華とは言い難い料理。明日死に別れるかもしれない仲間達。それは、戦時中のひとときの休息だった。

「うっわこいつ泣き出した! なんだよママが恋しいのかァ? ミルク飲むか?」
「総統ってどうやったら振り向いてくれるんですかね……」
「んー……あの人より強くなるとか?」
「それ一生無理って言い切ってねーか? プレゼントはどうよ、ちょっとは意識してくれるんじゃねえの」
「6番隊の奴がお礼にって最新の重火器返されそうになったらしいぞ。あの人に通じるか?」
「重火器! かっけーーーな!!!」
「なんだかんだ直球の愛情表現に弱そうに見えるけどな。ってことで新人、頑張って押せ。いつか絆されてくれる日がくるかも……しれない」
「イワン先輩……」
「がんばれ、おれはお前が押し切る方に賭けてるんだから」
「台無しです!!!!!」

 口では意地悪ばかりを言う彼らだが、ダニエルには分かっていた。どんな形であれ、アバドンとダニエルの幸福を願ってくれている気のいい人達である事を。でなければ、初日からやらかした空気の読めない新人など爪弾きにされていただろう。……面白半分なのもよく分かっていたけれど。

 愛して止まない上司と、尊敬する先輩達。こんな日々がいつまでも続いたなら、明るい未来も掴めたのかもしれなかった。

「総統!!!!!」

 力の限り叫んだ声は、彼女には届かない。伸ばした手はすり抜けて、暗殺者を追ったアバドンは空間転移魔法の中に取り込まれていく。少し冷静になれば気付けたはずのあからさまな罠だった。残された部下はしばらくの間呆然としていたが、そう簡単に死ぬ人ではないと立て直す。彼女の事だ、自分の手で始末をつけなければ気が済まなかったに違いない。待っていれば、すぐにでも帰ってくる。そう信じて一日、三日、一週間……一カ月と経って、敵国からの攻撃を受けた都市と軍事関連施設が壊滅してしまっても、彼女はとうとう戻っては来なかった。

 軍人なんてものは、物分かりの悪い人間の集まりだ。最高戦力のアバドンが不在であろうが生き残った者達は最後まで抵抗を続けた。基地が攻め込まれようとも、降伏してやる気は毛頭ない。一人でも多く敵を殺し、思い出の詰まったここで心中してやる覚悟だった。そうでなければ、誇り高き軍人であった彼女に顔向けが出来ない。

「なあ、ダニエル」

 弾丸が飛び交い、硝煙が立ち込める指令室で、机を盾にしたイワンに話しかけられる。彼の足元には魔素が集っていた。アバドンには遠く及ばずとも、彼は優秀な攻撃魔法の使い手だ。破壊力が大きすぎて味方をも巻き込みかねないため、使いどころは限られていたが。

「お前、知らねーだろ。おれ以外もな、お前が諦めない方に賭けなおしてたんだぜ。全員な」
「それ……賭けになってないじゃないですか……」
「そうだよ。だからお前に奢ってもらう予定だったのにさ」

 予定が崩れたわ。最期にそう茶化して、彼は駆け出す。
 徐々に小さくなっていく銃声、嗅ぎ慣れた硝煙に交じって流れてくる血の臭い、“新人”としか呼ばなかった彼がダニエルの名を呼んだ意味。始めから、分が悪い戦いだった。取れる手段は少ない。ダニエルは溢れ出そうになる涙を必死に拭って、唇を噛みしめ先輩の雄姿を見届ける。まるで花火を打ち上げるかのように眩い光が炸裂し、爆音が落ちつく頃にはイワンも敵の姿も消えていた。あるのは、人間であっただろう飛び散った肉片のみだ。

 自分も、彼らの後を追わなくては。地獄で会ったら優しくしてくださいね……目を瞑ってしまったのが敗因だったのか、気配もなく現れた敵に取り押さえられてしまう。愛用の銃は粉々に破壊され、腰に下げていた短剣まで取り上げられてしまっては、魔法の使えないダニエルには成す術もない。死ねる可能性は低いが、もう舌を噛み切るしか……他に道がないと頭では理解しているのに、恐怖が勝って震える全身をきつく抱きしめるしか出来なかった。

 ニコラスも、イワンも、誰もが皆立派に戦いきったというのに。何故自分は、自分だけが……戦意を失くしたダニエルは、そうして捕虜となり非道な人体実験のモルモットにされた。アバドンに幕を下ろしてもらうまで、人ならざる怪物として味方を惨殺する事になる。

「よくやった、ダニエル。……安心して眠れ」

  最期に、愛しい人の声を聞いた気がした。それだけが、彼の救いだった。

 あの人の隣で戦える男になりたい――――ダニエルの想いは叶わぬまま、アバドンはたった一人戦場に立つ。

戦場に咲く一輪の花