「お前たち魔導師が絶望を受け入れ、終焉を望んだ瞬間、お前の世界は同様の末路を辿った数多の世界のひとつとなろう」
「覚えておけ。神が太陽を隠さずとも、人間は自分の手で世界を終わらせることもできるのだ」

 音がない。匂いもしない。熱すらもない。地面がどこにあるかもわからず、ふわふわとした意識だけが残留する外界から遮断された闇の中でいつか”僕の知るアスタロト”が口にした言葉が反芻する。蒼海が広がる常夏の異界でのことだったか。そんな結末を迎えないためにも戦い続けようと決意を新たにしたはずだったのに、ずいぶんと遠い話になってしまった。

  数えきれない犠牲を払いながらやっとのことで掴んだ希望は見るも無残に打ち砕かれ、それでも尚歩みを止めなかった魔導師だったが、彼らは始めから強くあったわけではない。世界を、大切な人々を守りたいと必死だっただけだ。

 敬愛していた師は敵と相打ちになり、唯一無二の友は世界を救う鍵になるべく自らの命を差し出し、最後まで共にあった部下は目の前で殺された。僅かな光さえも塗り潰された時、もういやだ、と思った。自分ひとりが生き残ったって、どうしようもない。こんな世界終わってしまえばいいのだと、振りかざされた剣を避けなかった僕は、滅びへのトリガーを引いてしまったのかもしれなかった。

 でも、全部が過ぎたことだ。今更なにもできやしない。かすかに残った意思も、あと数秒もすれば跡形も残さず飲み込まれるのだろう。それでさよならだ。

「みつけた」「ミツケタ」「見つけた」
 人間のものとは思えない、無機質で機械じみた声が頭に響く。一体なんだ、と訝しんでいると、真っ暗だった足元が突如眩い光に包まれる。反射的に瞑ってしまった目を恐る恐る開ければ、幾度となく目にしてきた魔法陣が浮かび上がっていた。ひりひりと肌に焼きつく感覚は、もはや懐かしい。召喚の、儀式だ。

「なぜ……」
「ソロモンの魂を持つ者よ。お前は選ばれたのだ」

 ソロモンの魂を持つ者。それを知る極一部の人間は、全員亡くなったはず。まさか創世神に嗅ぎつけられていたのか? と頭を過ぎったが、だからといって何が起こるわけでもない。僕も、死んだのだから。

「王となり、世界を救え」

 声の主は姿も見せないまま、一方的に喋り続ける。

「王……?」

 手を伸ばせば届く位置にあった命も助けられなかった愚かな自分に、王の器があるとは思えない。稀代の魔導師ソロモンが終ぞ叶えられなかった夢を、自分なんかが手にしようとしたのが間違いだった。この手で救えるものなど何一つなかった、虚しさだけが胸を支配する最期。なのにこいつは何をふざけたことを言っているのか、と乾いた笑いが漏れる。

「最果てに待つものに、興味はないか」
「……ないよ」

 だってそこには、師匠もクロウもリガルもエルもいないのだろう。

「その指輪」

 左手の人差し指に嵌めたままの指輪が、急激に熱を持つ。片時も離さず、命の次に大事なものだった魔導書も今は傍になく、身に着けている装飾は父の形見であるこれだけだ。僕という一人の魔導師が生きた証。たったひとつのものすら奪われてしまいそうで、右手で覆い隠す。

「辿れる縁もある。お前が望むのなら」

 縁。もう一度、会える人がいる……?

「さっきから回りくどいな。きみは僕に何をさせたいの」

 お前たちは回りくどいんだよ。そういえばリガルによく言われていたな、と懐かしい記憶が蘇る。相手を想うあまり遠回しすぎる、と。だが、声の主はこちらを気遣ってのものだとは思えない。なにか、もっと別の思惑が動いている。まるで、弄ばれているような――

「滅びを迎えようとしている世界がある。中央に一本の塔があり王が統べる世界だ。塔が他の世界にまで枝を伸ばし、少しずつ熱量を吸うことで世界を維持していた。だが、王は消えた。王が消え、塔が導く階層世界――塔界からの供給も断たれた。お前には「新しい王」になって貰いたい。王の候補者にも塔を生み、枝を伸ばす力がある。塔界を制覇し、世界を救え。その時こそ、全てを所有するに相応しい王として君臨するだろう」

 淀みのない説明には感情の起伏が一切感じられない。予め用意されていた台本をただ読み上げただけ、といった風だった。不思議なもので、情に訴えかけられるよりもすんなりと馴染む。たぶん、今の僕は「お願いだから助けてくれ!」と縋られても心は動かなかっただろうから。そこまで考えてやったのならとんだ策士である。

 乗せられているな、というのは薄々気づいていた。けどかまわないと思った。どうせ無念に散った命だ。

「いいよ、引き受ける」
「物分かりが良くて助かる。では、召喚を」
「その前に、きみの名前を教えてもらっていい? 最初に出会った人の名前も知らないのはいやだな」

 おや、間があった。台本には用意されていない台詞だったらしい。

「……観測者だ」
「それ名前じゃないと思うなあ」

 答えてくれただけマシだと考えるべきか。再度会った時に教えてくれるといいけど、と無駄な期待をして、目を閉じる。

 終わりからもう一度始めよう。今度こそ、大切な人を守れるように――――。

最果ての向こう側