邪神チェルノボーグと邪神ア・レミア

ゴエクロの更新分を読んでいるときにゴエティアを思い出していたんですが、記憶が定かではなかったので後で確認しようと感想では触れていませんでした。確認しました。
ゴエクロの邪神チェルノボーグってゴエティアの第五塔界を死に導いた邪神ア・レミアと同じ存在ではないですか……?

ゴエティアクロス
創世神に対抗し得る力を持つ別の神を降ろそうとした邪教団は闇の遺跡で神降ろしの儀式を行いました。
召喚された邪神は、自らをチェルノボーグと名乗ります。

「私の名はチェルノボーグ。あるいはアンラ・マンユ、あるいはキノトグリス――」
「世界を超えて信仰を集める死や絶望の神の名だよ。私はそのどれでもあるが、同時にどれでもない」
(ゴエティアクロス 新章3部7章5節)

チェルノボーグはすべての世界に死と終わりを与えるために動き出したのだと言います。その思想に団員たちは呑み込まれ、狂気に陥った彼らは壁に文字を掘り始めます。ただ一人正気を取り戻した教団長は、邪神に敵意を向けながら自害します。残された団員たちも次々と死を選び、神降ろしの儀式を行った人間は全滅してしまいました。
このとき壁に刻まれた碑文を後にアオートとアドーナイオスが読んでしまい、意識を侵食された彼女たちはデミウルゴスを召喚するために儀式を行います。召喚されたヤルダバオトは、死に触れたことで変貌したデミウルゴスだと語りました。

ゴエティア-千の魔神と無限の塔-
ゴエティアの第五塔界は「肉体を捨て、霊体として存在し続ける幸福」を信仰していた世界です。

宮殿の奥に隠された神殿には、人々に忘れられた信仰が眠っていました。時が経ち、瓦礫の山と化したかつての神殿を見つけた人間が狂気に引き寄せられて封印を解いてしまいます。法王も狂気に蝕まれてしまい、法王の手によって「清く正しい信仰」として世界に広まりました。邪神を信仰する者、狂気に染まらず憎む者。すべての人間が死を迎えます。

邪神ア・レミアは、「人間が生み出した神」だと推測されていました。当時の人々が亡くなっているため真相は不明ですが、痩せ細った人の心が存在しない神を崇めた結果、その神を生み出してしまったのではないかと推測されています。

『終末』
死の姿、死の音、死の香り、死の味、死の感触――五感すべてで「死」という名の悍ましき終わりを伝えてくる存在。あらゆる生命が死から逃れらないのと同様、この存在からも逃れることはできないのだろうか?(ゴエティアクロス 終末 図鑑)

終末こそが幸福であると信じ込まされた世界には、狂気に染まれぬ者たちの慟哭が響き渡り――邪神を信仰する者、憎む者、何もかもが消え、世界には「神」だけが残った。(ゴエティア-千の魔神と無限の塔- 第五塔界 ベテルギウス廃殿 統治者)

終末に歓迎されているような気分になり、一度は支配されかけたものの正気に返ったゴエクロでは、終末を「悍ましき」と認識しています。
ゴエティアでは「終末こそが幸福」と信じ込まされていました。ゴエティアの「カースヒッポ 目録」で「どうやら邪教の神には人間の思考を奪う力があったようだ」と記述されており、彼らは思考を奪われていたことが明らかになっています。

なんだかよく似た話、ですね~~~!!!?
「信仰を集める死や絶望の神の名だよ」と言われたときに、信仰……???? ア・レミアって信仰によって生まれた神じゃなかったっけ……? と頭に浮かんでいたんですよね。
当時からあった設定なのかゴエクロでつけた設定なのかは私には判断がつかないんですが、本当にいつからこの展開にすると決まっていたんでしょうか。
ゴエティアのストーリー、目録、ゴエクロの外伝、イベントストーリーなどいたるところに散らばっている設定を丁寧に拾って一つの物語に組み込んでいるのほんっっっとうにすごい。
地獄謁見でア・レミアを持ってきたのも伏線だったんですか……!?