異界の門をくぐってから、ちょうど一年が経った。
あの日討伐した天魔――クイーンオブショコラは一年が過ぎても尚あなたの心に影を落としている。天魔になってしまった魔導師は彼女以外にもいたのでは、自分は気づかぬまま倒してしまっているのではないかと、ふとした瞬間に考えてしまうことがあった。特に、本部が壊滅してしまってからは頻度が高くなっている。
今あの門を通ったら、自分は戻って来られるだろうか。先に師がいたら、甘美な誘惑に耳を傾けてしまわない自信がない。失った人が大切な存在であればあるほど、もう一度だけでいいから会いたいと願ってしまう。それが刹那の幻でも、世界のすべてを裏切る行為だったとしても。『人間の心は脆い』とはまさにその通りだ。凛々しくも優しかった上級魔導師ですら抗えなかった。あなたも、自分が強いとは思っていない。エルや魔神、クロウ、リガル、アドニア、共に戦ってくれる仲間が大勢いたおかげで惑わされずに済んだだけだと知っていた。
きっかけがあれば、多分誰でも……あなたは無意識のうちに手を伸ばす。
「主様? お気を確かに持ってください」
「どうしましたか?」
「急に立ち止まってどうしたんだよ」
人ではなくなった、冷たく茶色い手だった。でもあなたは「彼女」の手が暖かかったことも覚えている。彼女には、夢こそが現実だったのだろう。なら、自分にとっての現実は……
「主様!」
あなたの名を叫ぶエル、クロウ、リガルの声が重なり、はっと我に返った時には三人が揃って自身の腕を掴んでいることに気づいた。あなたが目を丸くしているうちに、そっと下ろされる。
「お前なー、こんなとこでぼうっとしてんなよ」
「気分が悪いのですか? 少し休憩しましょうか」
「主様、エルはどんな時でもあなたのお傍にいます。大丈夫です、エルが何度だって引き止めますから」
心配そうにあなたの顔を見つめてくる三人に笑顔を返して、あなたは開けてしまいそうになった蓋を再び閉じる。あれは、覗いてはいけないものだ。――だからどうか名前を呼んで、繋ぎとめていて。
現実から切り離された、冷たい手だった。天魔となった魂はどこへゆくのだろうか。神のもとか、それとも……。あなたは頭を振る。誰も答えは持っていないのだ。脳裏に浮かぶ女性の姿を振り払うようにして、門をくぐる。
隊員の墓を作った、やさしいひと。夢の中で最愛の人に出会えていますように。