魔導師になった時、聖服と一緒に白い封筒と便箋を渡される。任務で亡くなった場合、本部から家族に届けられるのだという。端的に言えば、遺書だ。何の変哲もないただの紙であるはずのそれが、少年にはひどく重たく感じられた。

 与えられた部屋に戻り、使い古された机の上にまっさらな便箋を広げる。さて書こうか、と意気込み、五分、三十分と経過して、――一文字も埋まらないままだった。考えてみれば当たり前だ、遺書なんて書いた事がなければ、書こうと思った事もない。何をどう書けばいいのか見当もつかなかった。そうか自分は恵まれていたのだな、と身に染みて思う。

 魔導師を止めた家系であったし、決して裕福な生活ではなかったけれど、明日死ぬかもしれないと差し迫る恐怖を覚えた瞬間はこれまで一度もなかった。生きていればなんとかなる、が母の口癖で、少年も母と思想を共にし逞しく生きてきたのである。でも。目の前にある紙切れが、魔導師は死と隣り合わせだと切々と訴えていた。

 悪趣味だな、と悪態をつきたくなる。覚悟を決めろと言いたいのだろうが、遣り口はどうにも好かない。紙をぐしゃぐしゃにしてやりたくなって、その紙を受け取る家族の気持ちを想像したら、きちんと書こうと思い直した。形式なんて分からなかったし、表面をなぞるだけの硬い文章では何も伝わらないと思ったから、少年はありのままの想いを書き綴る事にした。

 父ちゃん、母ちゃんへ。
 そんなありきたりな出だしで。

 書き終えた二枚の便箋を、封筒にしまう。支部長は足りなければ何枚でもいいぞと言っていたが、少年には充分だった。俺結構書いたな、とすら思ったくらいだ。一枚でも余るとばかり思っていたのに。便箋の最後に記したのと同じように封筒にも自身の名前を書き、少ない荷物を手に取って部屋を後にした。

 難攻不落と謳われた古城は変わり果て、大量の瓦礫と遺留品、あちこちに染み付く茶色いシミがこの場所で何が起きたのかを雄弁に物語っていた。一体どうして。少しでも気を抜けばすぐに上げてしまいそうになる悲鳴を飲み込み、行く当てもない少年が歩き回っていると、何かを踏んだ音がした。気になった少年はしゃがみこんで拾い上げる。……端が焦げ、血で汚れた見慣れた紋章。持ち主の書いた遺書も、少年が書いた遺書も、炎の中に巻き込まれてしまったのだろうか。探したところで意味がないのを悟っていたし、探そうとも思わなかったが、世界が終わる時はこんなにも呆気ないのかと思い知らされた気がした。

 鞄から喇叭を取り出し、勢いよく吹く。仲間の遺体を火葬した魔導師に向けてだった。亡くなった仲間達を放置して進めるような人物ではなかったようだから、まだ届く距離にいるはずだ。彼らであればいいと淡い期待を抱いてしまう。現実を受け入れていないだけだと心のどこかで分かってはいたけれど、本部でも一目置かれていた彼らが簡単にくたばるとも思えなかった。 

 返答を待ちながら、使えそうな木を拾い集めて火をつける。暖を取るのと同時に、目印でもあった。本当に彼らであれば、中級魔導師は喇叭を所持していない。喇叭を返さずにそのまま向かってくる可能性もあったので、自分はここにいると主張する必要があった。

 ばちばちと燃える火を見つめながら、どれほど経っただろうか。恐らく、大した時間ではなかった。しかし少年には今まで経験した事もないほど長く、心細い時間だった。もしかしたら既に亡くなっているかもしれない、その時自分はどうすればいい、三級魔導師の自分が一人生き残っても戦えるわけがない……少年らしくもない弱音が漏れそうになる。

 彼らも、遺書を書いたのだろうか? 生真面目な隊長なんかは、正しい形式に則って堅苦しい文章に違いない。副隊長はどうだろうか。あれで緩いところがあったから、最初は堅苦しく途中から崩しているかもしれない。あながち外れていない気がする。でも、内容は思い描けても彼らが誰に宛てたのかはとうとう思いつかなかった。家族は生きているとも、亡くなっているとも聞いた事がなかったからだ。彼らとの付き合いは長くはなかったのだと、今更気が付く。たった数ヶ月だというのに、少年が思う「魔導師」は彼らの姿で固定されてしまっているほど、強く印象に残っていた。

 ――遠くで喇叭の音が聞こえる。最初の音を耳にした時に彼らではなかったと落胆してしまった分、起床喇叭である事に気付いた時の頼もしさ、言葉にならない嬉しさが胸に込み上げてきて、袖で顔を拭ってしまった事は魔神だけが知っていればいい。

 少年は堪えたというのに、再会した副隊長は目尻に溜まる涙を隠しもしなかった。子供かよ、と思わず口に出た少年に子供でいいよリガルが無事だったんだからと笑った顔はやはり年上のもので、自分も彼らも生きているのだと実感した。大丈夫、生きていればなんとかなる。

 灰になってしまった遺書をもしまた書くのなら、今度は彼らにも宛てたいと思った。……でも、やっぱいらねーかな。お前らにはそういう辛気臭いことは必要ないよ。俺がポラリス隊の生意気な魔導師だったこと、それだけ覚えててくれりゃいいわ。

ぼくがいなくなった世界で生きるあなたたちへ