祝福の花びらが降り注ぐ。花嫁も花婿も、列席者の誰もが幸せそうに笑っていた。

「結婚式?」

 任務を終え本部に帰還したあなたとクロウに書簡が渡される。真っ白な封筒の枠に水彩で描かれた花が飾られ、赤い薔薇で封蝋されたそれは結婚式の招待状だった。しかし、親しい友人もいないあなたには心当たりがない。一体誰が、と差出人の名前をなぞってみても、霧がかった記憶から引っ張り出すことはできなかった。

「覚えていませんか? まだ魔導師になったばかりの頃、あなたも私も大変お世話になった女性なのですが」

 ねえクロウ、と尋ねる前に彼は説明してくれる。あなたの記憶が欠けてしまっているのを熟知している彼の配慮は有難いという他ない。

「まって……喉まで出かかってる……気がする……。もうちょっと情報ちょうだい……」

 あなたを左手を額に当て、ううんと唸りながら考え込む。

「あなたは大層彼女に懐いていましたよ。結婚式をするときは招待してほしいとお願いしていました。途中で支部に移動になったので以降会えていませんが。確かリガルと似た茶の……長い髪で、そばかすがあったと思います」
「あー! わかった……かも!? 子どもとの約束を守ってくれたんだね」

 付き合いたての恋人がいるのだと、はにかみながら話していた。あの頃のあなたは無邪気で、いずれ結婚するものだと思い込み彼女のドレス姿を見せてほしいと頼んだのだ。振り返ってみると枕に顔を埋めたくなるが、幸いにも彼女は良い思い出として受け取ってくれたらしい。

「そっかあ……! 結婚するんだ!」

 招待状が、一層特別なものに感じられる。この日は何があっても絶対休む!! と心に決めた。が、ふと疑問が湧く。

「……ねえクロウ、男性は当時の人だと思う?」
「……それは言及しないのがマナーではないでしょうか?」

 ごもっともです、と頷き、失礼な態度を取らないですむようにクロウが知る限りの彼女の話をしてもらうことにする。名前と容姿を聞いても尚、約束以外は朧気だったからだ。

「晴れ、てはないけど雨じゃなくてよかったね」

 馬車に揺られ、彼女が待つ村へと向かう。

「ねね、おかしくないかな?」

 今日のあなたとクロウは、任務時に着用している聖服ではなく式典用の正装で身なりを整えていた。ジャケットは品のある黒を基調とし、金糸で施された袖口の刺繍と黄金のボタンが輝く。ボトムは清潔感のある白を採用した格式高い一着である。それなりに値が張るために自前で持つ魔導師は少なく、大抵は協会からの貸し出しだが、中級魔導師になった際に師に強く勧められて一から仕立てたものだった。あのときは貸し出しのでいいのに、と文句を言ったものの、おかげで窮屈さは全く感じない。踝まであるスカートとヒールには中々慣れそうにないが。

「問題ないですよ」
「似合ってるって言ってほしかったところー! クロウはかっこいいね!」

 正面に座るクロウを至近距離で褒めたせいか、彼の顔が瞬く間に赤く染まる。ここまで感情を剥き出しにされるとあなたも気恥ずかしくなり、目線を手元に移した。父の形見の指輪だけが普段の自分を繋ぎとめている気がして、何度か撫でているとクロウの心配そうな声が響く。

「落ち着きませんか?」
「うーん……。そうだね……」

 引っ込み事案を言い訳に、まさかフードを被って出席するわけにもいかない。遮るものが何もない今日のあなたは、朝から居心地の悪さを感じ続けていた。花嫁が主役で誰も自分のことなど見ていないと頭ではわかっていても、人前で顔を晒すのは怖気付けそうになってしまう。それに、記憶がないことを悟られてしまわないかが気掛かりだった。

 彼女一人と数年ぶりに再会するのであれば、あなたは打ち明けただろう。彼女も魔導師だ、理解を示してくれるに違いない。だが、親族も集まる祝いの場で語るには血生臭い内容である。水を差す真似はしたくなかった。

「大丈夫ですよ、私もいますから。フォローします」

 クロウの言葉は、まるで魔法だ。彼がいてくれなければ、今のように声をかけてくれなければ、大部分の記憶を失った恐怖で押し潰されそうになっていただろう。召喚方法も忘れた魔導師を引き取ってくれた彼には頭が上がらない。

「よろしくお願いします、隊長」

 おどけつつ敬礼して見せれば、彼も返してくれる。いつも通りの何気ないやり取りが眩しく感じられるのは、服装が異なっているせいなのだろうか。格好いいね、と二度目は照れずに言えそうになかった。

「わー! 一大行事って感じだね!」

 裾の長いスカートを踏みつけないよう注意して馬車を降り、辺りを見渡す。村の入り口に植えられた木には白い布が結び付けてあり、風でぱたぱたと靡いていた。布の白さを際立てるようにしてリースが吊り下げられている。村一丸となって二人を祝福しているのが一目でわかったあなたは頬を緩ませた。

「なんだか素敵だねえ」

 花嫁との思い出は薄い。けれど、あなたとクロウが懐いていた女性が悪い人であるはずはないと確信していた。彼女が多くの人に愛されて式を挙げられるのは誇らしく、先ほどまでの不安も吹き飛んで胸が温かくなる。

「おや、素敵な服を着ているね。結婚式に来てくれたのかい?」
「はい」

 老婆に話しかけられ、クロウが答える。

「そうかいそうかい! ありがとう。家まで案内しようか? 目立つからすぐにわかるとは思うけどね」
「お気遣いありがとうございます。式まで時間がありますし探してみます」
「何もないところだけどゆっくりしていってね。あなたたちに女神の祝福がありますように」

 ありがとう。二人で感謝の言葉を述べ、速度を落として村を見て回る。誰かとすれ違う度に声をかけられたが、例外なくみな世界中の幸せをかき集めたかのような穏やかな顔をしていた。

「私結婚って考えたことないんだけどさ、なんかこう、守んなきゃなーって気持ちになるね」
「これからの日々を、ですか?」
「うん、そう。ご先祖さまが頑張ってくれたから生きていけてるわけじゃない? 途絶えさせちゃだめなんだって改めて思うよ」

 子どもたちの笑い声がする。ちらりと目をやると、幼い女の子が洗濯中のシーツを被って花嫁ごっこをしていた。ゆびわちょーだい! と男の子に純真な笑顔で迫っている。

「かわいい」
「そういえばあなたもカーテンを被って遊んでいた気がしますね。付き合わされた覚えがあります」
「えっなんの話!?」
「気になるのならあとで話しましょうか。着きましたよ、あの家ではないでしょうか?」

 クロウが指した一軒家は、庭だけでは大人数が収まりきらず歩道にまで人が溢れていた。今か今かと待ちわびながら話に花を咲かせる光景は、いつか誰かから聞いた童話のようだった。

 現実は、抜けるような青空も封筒に描かれていた鮮やかな花も三段のケーキもない。天魔の一撃で崩れ落ちてしまいそうな家を飾り付けているのも、不揃いな机の上に並ぶ料理も、各々が手にしている酒も、苦労の末に寄せ集められたものだろう。訪れる人は何かしら贈り物を持っているが、とてもではないが裕福な村だとは思えない。あなたとクロウの服の値段を聞けば腰を抜かしてしまいそうだ。だが、晴れ晴れとした顔に陰りはない。彼らはきっと、明日別の夫婦が結婚式を挙げても変わらず祝うに違いなかった。

「あら、見慣れない顔ね。ひょっとして魔導師さん?」

 輪の中に入っていく度胸はなく、隅で佇んでいると丁度新婦と同じ年くらいの女性に気さくに声をかけられる。どこか懐かしい雰囲気を持つ女性で新婦の知り合いなのかもしれないと思った。

「あ、はい。そうです」

 今度は自分がしっかりしなくては、とあなたは咄嗟に返す。

「良かった! 大好きだった子たちが活躍してるって耳にして久しぶりに会いたくなったけど迷惑じゃないかって気にしてたのよ」
「いえ迷惑だなんて! 先輩にお会いできるのは光栄です!」
「ふふ、本人に言ってやって。喜ぶわ。お酒は飲める?」
「はい、少しなら」
「私も一杯だけ頂きます」

 女性はにこやかに微笑み、取ってきた酒を二人に手渡す。グラスの中でしゅわしゅわと音を立てるシャンパンからは、柑橘系の華やかな香りがした。

「今日の良き日に乾杯」

 私たちは、祈る神をもたない。大昔、まだ人間と神様に親交があった頃は神に永遠の愛を誓ったそうだが、そんな風習はとっくに廃れていた。だから結婚式に訪れてくれた人々に誓いを立てる。

 命ある限り、この人を愛しますと。

 純白のウェディングドレスを身に纏い、繊細なレースで編まれたヴェールを被った花嫁と、タキシード姿の花婿が腕を組んで歩く。あなたの前を通ったとき、予め聞いてあった通りに木籠の中の花びらを舞いた。おめでとうございます、お幸せに、たくさんさんのありがとうを込めて。あなたの存在に気付いてくれた彼女が、それはそれは幸せそうに微笑む。花嫁も、花婿も、誰もが幸福に包まれた夢のような時間だった。

 ――――天魔となってしまった女性も、幸せな花嫁であっただろうか?

「ある日突然、誓いは効力を失いました。誰かが悪いわけではなく、運命のお導きでした」

 異界の聖堂の床に落ちていた誓約書の走り書きは、天魔になってしまった女性が書いたものらしかった。あなたにもエルにも、花嫁衣裳を着たままのイポスですら意味はわからない。だが、答えは天魔が身に着けていたウェディングドレスとは正反対の色をしたドレスにある気がした。あれはたぶん、喪服だ。いなくなった花婿を悼むための。

 死が二人を分かつまで、愛することを誓う。花嫁の愛は、運命に引き裂かれてしまったのだろうか。
 あなたは誓約書を床に戻し、結婚式でもらった花飾りを上に置く。幸福な花嫁と、悲劇の花嫁。どちらも忘れないよう胸に刻み、朽ち果てた聖堂を後にした。

フラワーシャワーの祝福