はらはらと降る雪が一つ落ちては人の熱で解け、また一つ落ちる。吐き出す息は白く冷たく、魔導書をめくる手が悴む。これも世界が変わってしまった影響なのか、今年は一段と冷え込んだ。リガルは「ホットミルクでも作るか」と理由をつけて火の側を離れようとしないし、クロウですら何度も腕を摩っている。
「あーくっそ、さっみい!」
「あなたは先ほどからうるさいですね。寒い寒いと言ったところで何も変わらないでしょうに」
「わかってるっての。お前らはいいよな、外套あって」
「さほど変わりませんよ」
クロウはああ言ったが、本当は大きく異なることをあなたは知っていた。
聖服は寒さにも強く作られてはいるが限界があり、大抵の魔導師は下に薄手のシャツなどを重ねている。しかし動きが鈍くなっては元も子もないので、最低限だ。そんな中、中級以上の魔導師が身につけている外套は質のいい布で作られているため、一枚羽織るだけでずいぶんと寒さは軽減された。風を通しにくいだけでも有難い話である。
「中級魔導師かー、3級になったばっかの俺には遠い話だわ」
「優れた才能を持つ主様とあなたを比べないでください、無駄です」
「お前ほんっと俺に対してきついよな。もう慣れたぜ。ほら、できた」
差し出されたコップを受け取る。予想外に熱く、危うく落としかけたあなたを見てリガルは呆れながらも楽しそうに笑った。次に受け取ったクロウも同じことをしていて、今度はあなたも一緒に笑う。
何度か息を吹きかけて冷まし、ゆっくりと口に運ぶ。牛乳とはちみつの優しい甘みがほっと体を温めてくれ、張り詰めていた心が解けていくようだった。
「美味しいですね」
こくりと頷く。何の変哲もない、火にかけただけの牛乳がこれほど落ち着くのは、そこには確かに人の温もりが存在しているからなのだろう。思えば、本部が壊滅してしまってから今日まで前を歩くのに精一杯で日常にあるささやかな優しさや気遣いを拾ってこなかった気がする。あなたはリガルに感謝の言葉を述べ、自由が利くようになった指先を遊ばせながら久しぶりに景色を眺めた。
針葉樹の隙間から蛍のような淡い光が漏れ、森全体を照らし出す。雪がマナのエネルギーを結晶内で乱反射し、緑色に光って見えるのだと教えてくれたのはバティンだった。あれから、一年が経ったのだ。傍目からは去年までと変化がない風景と、雪が音を吸収する静かな世界では、まるで何もかもが夢のようだった。
「そういえばあなたは、この季節が嫌いではないと以前話していましたね」
「げっ、まじかよ」
リガルに信じられないものを見るような目を向けられつつも、あなたは首肯する。見慣れた反応だ。
「主様は感受性が豊かな方なんです」
「魔導書に感受性って言われてもな……」
――その感性は大切にしていい。他の誰でもない、お前だけのものだ。
魔導師として生きるには余計なものだと切り捨てる者もいる中で、普段は厳しい師が否定しなかった。それもあってか共に修行をしたクロウも馬鹿にしたりすることはなく、あなたの話を真剣に聞いてくれた。今になって振り返れば、精霊や魔導書と同調しやすいことを自覚していなかった幼少期はおかしなことも沢山話した気がするのだが、二人が不快そうな顔をすることはなかった。自分はなんて恵まれていたのだろう。リガルだって、気味悪がるような素振りはない。
過ぎ去った後でしか気づけないものもあるのだと、あなたは知る。けれど、もっと早く知りたかった。そうしたら、返せるものもあったのではないか。多くのことを教えてくれた、敬愛すべき師に――そこまで考え、できれば忘れていたかった「女神誕生際でのプレゼント」のことまで思い出す。
「どうしたんです? 顔色が悪いですよ」
クロウが心配そうにあなたの顔を覗き込む。そうだ、彼も同じ記憶を共有している同志だ。巻き込んでしまおう。自分一人が悪夢に魘されるのはフェアじゃない。あなたは多少荒っぽい気持ちでプレゼントの話を切り出した。途端、クロウの顔からみるみるうちに血の気が引いていく。
「お、おいどうしたんだよ?」
「リガル……この世には知らない方がいいこともあるんですよ……」
「はあ?」
「どうして自分の中に仕舞っておいてくれなかったんですか……!!」
うん、美味しい。満足したあなたは残りのホットミルクを口に含む。どこか懐かしい味がした。